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武道教室・古武道道場:(社)楽心館 RakushinkanのWebサイトです

   

楽心館20周年にあたり、社団法人化させていただきました。

平成23年8月16日 楽心館長 石川智広

私が30歳で1991年に道場活動を開始してから、既に20年を超えています。現在51歳です。自分の歩みと思いを、文章化しておかなければと思います。

ただ稽古する。それだけの毎日です。その中に、私にとっての苦楽が包含されています。単調な様でいて、様々な変化、自分自身やお稽古人様の成長を発見する喜びがあります。たまに休日があれば、道場の修理や庭の掃除。それだけで気分爽快です。

辛抱していると、人が育ってゆく。自分も伸びてゆく。楽心館も広がってゆく。1991年、心身統一合気道会の内弟子を卒業した時、与えられた教室は国立と八王子の二つ。その後は総べて自分とお稽古人様で、広げてきました。ざっと数えて国内38クラス・海外1クラスとなりました。遅すぎたかもしれませんが、私のペースに合っていました。

山登りに譬えてお話しすると、登る時・下りる時、二つの困難があります。

登る困難。目の前に見える峰、そこを目標に登る。そこまで行くと、先にさらに高い峰がそびえている。それを根気よく繰り返す辛さです。

仮に目標の峰へ到達したとする。もしそれが頂上であれば、幸いです。とりあえず自分にとっての目標への到達と、考えます。そこからどう歩くか、生きるかという困難です。登山の事故の大半は、登山よりも下山に起きるといいます。

30才そして40才過ぎても、さまざま迷いました。迷えども辞めようとした事はありません。途中、稽古の路線も組織も、大きく変えてきました。「目の前に見える峰、そこを目標に登る。そこまで行くと、先にさらに高い峰がそびえている」のは世の常、自分の求めるものも変化してゆく。自分の技を活動も「新しい酒は新しい皮袋へ盛れ」(注1)とばかりに、惜しみなく換骨奪胎(注)してきました。この絶えざる努力こそ斯道奨励、人の人たる道だと考えます。

古来、武道の学びは、「正師を得ざれば、学ばざるにしかず」といいます。「三年稽古するより、三年掛けて師匠を探せ」ともいいます。武道の学びは、求めるものを持っている師に出会うまでがたいへんであり、出会って学んでからがさらにたいへんです。これは先に譬えた、山登りの二つの困難と同じです。

私は平成11年頃、職業武道家になって13年経てから、長尾一刀斎全祐先生に出会いました。

(2005年) 大東流柔術教授代理・秘伝奥義之事       平成17年 9月2日

(2006年) 無限神刀流居合術教授代理            平成18年11月5日

(2010年) 小野派一刀流剣術秘伝奥義之事         平成22年 3月8日

以上を私は石川一刀斎智広として、受け継ぎました。

現在では東京を基盤とする活動の基礎を持つ事ができましたが、楽心館といたしましては更なる頂上を目指したいと思う所存であります。

1.海外における指導者の育成と普及にも注力いたします。

2.より広く活動するために社団法人化いたします。「一般社団法人 楽心館」とし、以下二つの部門を持ちます。

 古(いにしえ)を学ぶ場として、神刀柔進会 東日本道場

 剣柔一体の合気の技法を換骨奪胎して、気と丹田の合気道会

一灯よく万灯に点じ伝えるごとく、合気の技法と精神を、世の人々へ伝えてまいりたいと思います。この「一灯よく万灯」が、合気の教えでは「一刀即万刀」に通じます。「一」が何かが、最重要な課題であり、これこそ伝えようとするものです。ひとたび一刀を得れば、それが一灯火となって、我が行く道を照らしてくれます。

これからも困難は続きます。人を育て、精神と技を受け継いでゆく事が大切です。

この度、私が手塩に掛けて育てたJoshさんが、カルガリーへ海外第一号の道場を開いてくれました。本当にありがとう。

Joshさんに続く、海外での指導者を育てたいと強く望んでいます。志高い指導者が、ヨーロッパからアメリカからアジアから、現れるのを心待ちにしています。困難な日々の中に、そんな楽しみがあります。

 

(注1) 新しい酒は新しい皮袋へ盛れ いつまでも古い様式に頼っていてはいけないということ。成長したなら成長したなりに、ふさわしい器へ。

(注2) 換骨奪胎かんこつだったい 《骨を取り換え、胎(こぶくろ)を取ってわが物として使う意》先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること。




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